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甲府地方裁判所 平成10年(モ)146号 決定 1998年7月16日

主文

一  債権者らと債務者間の当裁判所平成九年ヨ第一五八号産業廃棄物中間処理施設建設続行禁止仮処分申立事件について、当裁判所が平成一〇年二月二五日にした仮処分決定を認可する。

二  異議申立費用は債務者の負担とする。

事実及び理由

第一  事案の概要

本件は、債務者が操業を計画している産業廃棄物中間処理施設について、その周辺地域に居住又は稼働する債権者らが、右施設から排出されるダイオキシン類等の有害物質によって大気や生活用水が汚染され、債権者らの生命、健康が侵害されるおそれがあるとして、人格権に基いてした右施設の建設続行の差止めを求める仮処分命令申立てを認容した原決定に対し、債務者が保全異議を申し立てた事案である。

一  争いのない事実等

1  債務者は、一般廃棄物及び産業廃棄物の収集、運搬及び処理を業とする会社であり、平成九年一一月ころから、山梨県中巨摩郡若草町内において別紙物件目録記載の産業廃棄物中間処理施設(以下「本件施設」という。)の建設に着手し、平成一〇年七月末ころからその操業を予定していた。

2  債権者らは、本件施設の近隣地域すなわち山梨県中巨摩郡田富町山之神地区に居住し、あるいは稼働するなどして生活している。なお、債権者らの右生活地域は、「リバーサイドタウン」と称される大規模住宅団地(人口約三〇〇〇人)、旧来からの集落(鍛冶新居地区、人口約四八〇人)及び流通団地等によって構成され、スーパーマーケットその他の事業所も多数存在している。

債権者らの生活地域は、釜無川に沿って、本件施設の南方約二〇〇メートルから約二キロメートルの範囲に位置し、冬季の季節風(いわゆる八ケ岳おろし)の風下に当たる。また、債権者らの飲用水に利用している地下水の水源は、本件施設から釜無川に沿って約一キロメートル下流、水深約九〇メートルに位置する。

3  本件施設において予定されている操業の内容は、<1>建設廃材(コンクリート塊、アスファルト類)の破砕リサイクル処理、<2>廃プラスチック類、金属くず、ゴムくず、繊維くず、木くず、段ボールくず、紙くず、ガラスくず及び陶磁器くずの破砕減容処理、<3>段ボール及び紙類の圧縮梱包処理、<4>繊維くず、木くず、段ボールくず、紙くず、動植物性残渣及び廃油(助燃材として使用)の焼却処理、<5>汚泥の乾繰焼却処理である。

4  ダイオキシン類は、法令上はポリ塩化ジベンゾフラン及びポリ塩化ジベンゾ―パラ―ジオキシンの混合物の総称とされており(大気汚染防止法施行令附則三項四号、廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行規則四条の五第一項二号ワ)、非常に強い毒性があり、微量の摂取によっても、発ガン、奇形、生殖障害、免疫障害など人体への悪影響があるとされている。

平成九年には大気汚染防止法施行令の改正によりダイオキシン類が早急に排出又は飛散を抑制すべき指定物質(同法附則九項、同法施行令附則三項四号)とされるとともに、その排出削減対策のため廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行規則の改正がされて処理施設の技術上の基準値が定められ、これらの改正規定(以下「本件省令」という。)は同年一二月一日から施行された。

本件施設内に設置される焼却炉は、一時間当たりの焼却処理能力が三四〇キログラムであり(〔証拠略〕)、燃焼室の処理能力が一時間当たり二トン未満の場合に当たるから、本件省令によるダイオキシン類の基準値は一定条件下の排ガス一立方メートル当たり五ナノグラム(ナノグラムは、一グラムの一〇億分の一)以下である。ただし右規制は本件省令施行時にすでに設置されている焼却炉には適用されないこととされており、既存の焼却炉については、一年の猶予期間後、平成一〇年一二月一日から平成一四年一一月三〇日までの間の基準値は八〇ナノグラム以下、その後は一〇ナノグラム以下とされている。本件施設は、行政当局により、既存施設として取り扱われている。

5  ダイオキシン類は、廃棄物焼却の過程などで生成・発生し、容易に分解することなく自然界に蓄積することが明らかになっている。そして、債務者が本件施設を操業した場合、前記3<3>・<4>の焼却処理にともない、本件省令による基準値を超えるダイオキシン類が発生し、そのうちの一部が本件施設外に排ガスとともに排出される。

二  債権者らの主張

1  債務者の本件施設における廃棄物の焼却処理により、本件省令や大気汚染防止法による「指定物質抑制基準」の基準値を超えるダイオキシン類が排出されるおそれがきわめて高い。

2  また、このほかにも、債務者による本件施設の操業により、<1>建設廃材の破砕処理にともなうアスベスト、アスファルトに付着した重金属類(水銀、砒素、クロム、銅、カドミウム、鉛等)、ダイオキシン類、ベンゼン等の飛散、<2>廃プラスチック類その他廃くずの破砕減容処理にともなう重金属類、芳香族炭化水素類、ホルマリン、有機塩素系物質(ダイオキシン類、クロルデン類、農薬等)等の排出、<3>段ボール・紙類の圧縮梱包処理にともなう重金属類、フタル酸エステル等の飛散など、種々の有害物質が排出されるおそれが高い。

3  債権者らの生活地域と本件施設との位置関係及び右有害物質の有害性に照らすと、本件施設の操業により右有害物質が排出又は飛散した場合、大気及び飲用水としての地下水が汚染されることにより、債権者らはその生命、健康に重大な被害を受けるおそれがきわめて大きい。

4  以上に加え、債務者は、本件施設の設置工事にすでに着工していることから、保全の必要性もある。

三  債務者の主張

本件施設は、以下に述べるとおり、本件省令、大気汚染防止法、水質汚濁防止法その他の諸法令による基準値を充足する安全な施設であるから、有害物質が排出されるとしても、その量は右規制の基準値以下であって、債権者らの生命、健康等に被害を生じさせることはない。

1  ダイオキシン類対策

本件施設は、次のような処理方法を採用するので、少なくとも、新設炉に適用される基準値である五ナノグラムを下回る量のダイオキシン類しか排出しない。すなわち、<1>ダイオキシン類は不完全燃焼のもとで発生しやすいといわれているので、焼却炉において排ガス温度を摂氏八〇〇度以上に維持して廃棄物等を完全燃焼させ、<2>次いでWサイクロン集塵器によって煤塵を粗取りし、<3>さらに、水冷塔及び空冷塔によって排ガスを摂氏一八〇度以下に冷却してダイオキシン類の発生を抑制した上、除去効率を高めるためダイオキシン類の吸着剤として消石灰及び活性炭を投入し、これをバグフィルター式集塵器(ろ過装置)によって捕集・除去してから、排ガスを大気中に排出する。

以上の処理方法は、その有効性が科学的に実証されており、本件省令や厚生省の「ごみ処理に係るダイオキシン類発生防止等ガイドライン」(〔証拠略〕)が定める技術上の基準を満足している。

また、ダイオキシン類に汚染された焼却灰及び活性炭は、右ガイドラインに沿って、溶融固化等の無害化処理施設へ搬出することになっているばかりか、焼却炉の試運転によりダイオキシン類その他の有害物質の法令上の基準値への適合を確認してから、本格操業を行い、また、操業開始後も一年に一度、排出濃度測定等を行い、安全性を確認しながら操業していくことにしている。

2  その他の有害物質対策

(一) 本件施設への搬入物に、人体に有害な重金属類が含まれている可能性はあるが、飛散しないように搬入・撤出することにしているし、本件施設ではアスベストは取り扱わないので、これが飛散するおそれはない。

(二) また、本件施設に搬入される廃棄物には排出事業者が発行するマニフェストと呼ばれる積荷伝票が添付されるので、債務者は、これによって搬入物の内容を確認し、廃棄物を適正に管理、処理することができる。

(三) 廃棄物処理によって発生する排出はすべて焼却炉に噴霧し、蒸撒させるので、これが外部に侵出することはない。また、本件施設内から出る廃水は、合併浄化槽で処理した後に排出するし、雨水は、沈殿分離中和漕で重金属類等を汚泥中に沈殿させた上、酸性濃度を中和した後に排出するとともに、右汚泥も汚泥乾燥炉で乾燥した後、焼却処理を行うほか、排水の分析を月一回行い、監督官庁へ報告することとしている。

3  債務者は営業の自由を有し、かつ、本件施設は、国家的緊急課題である廃棄物処理を目的とする施設であって、現在、社会において必要不可欠なものであり、しかも、右のとおり本件施設が法令上の諸規制に合致している以上、債権者らには、その主張する被保全権利はない。

四  主要な争点

本件における主要な争点は、本件施設における廃棄物の焼却処理により排出されるダイオキシン類の排出量が本件省令の基準値を満たすものであり、債権者らの生命、健康に対する被害を生じさせるおそれがないといえるかである。

第二  当裁判所の判断

一  被保全権利

1  人間が生命、健康を維持して安全に生活する利益は、人間の基本的な生活利益に属するものであるから、人格権として法的に保護されるべきものであり、その重要性に照らすと、右人格権を侵害された者は、損害賠償を求めるほか、人格権侵害行為そのものの排除を求めることができ、また、右人格権を侵害されるおそれのある者は、その予防のため侵害行為の差止めを求めることができるというべきである。

それゆえ、本件施設の操業により排出される有害物質が、債権者らの生命、健康に悪影響を及ぼす程度であると認められる場合には、債権者らは、その侵害を予防するため操業を目的とする本件施設の建設自体の差止めを求めることができるというべきである。

2  そして、右の点については、債権者において疎明する必要があるところ、本件においては、本件施設における廃棄物の焼却処理の過程で、焼却炉内で基準値を超えるダイオキシン類が発生するおそれがあること、債権者らの生活地域と本件施設とは近接している上、債権者らの生活地域は季節風の風下にあり、飲料水の水源も本件施設の近くを流れる川の下流に位置していること、ダイオキシン類は、非常に強い毒性があり、微量の摂敢によっても人間の健康を損なうおそれがあることについては、前記のとおり当事者間に争いがないから、債権者らが疎明すべき事実については、一応の疎明がされたものということができる。

しかも、本件施設から排出されるダイオキシン類の排出量が基準値以下であり、債権者らの生命、身体に悪影響を及ぼすものではないという点に関する資料が専ら債務者のもとにあることに照らすと、債務者において、本件施設が右諸法令による基準値を充足し、債権者らの生命、健康に悪影響を及ぼすことのない安全な施設であることについて、具体的な資料を提出して疎明しない限り、本件施設は、右基準値を充たさない安全性に欠ける施設であることが事実上推認されるというべきである。

3  債務者は、ダイオキシン類の排出について、前記のとおり、高温燃焼及び消石灰投入によってダイオキシン類の発生を抑制し、発生したダイオキシン類についてもこれを活性炭に吸着させて固体化した上、バグフィルター式集塵器によって捕集・除却する装置システムを採用するので、ダイオキシン類については、本件省令の基準値を下回る量が排出されるにすぎず、安全である旨主張する。

しかし、債務者が右主張を根拠づける疎明資料として提出したのは、本件施設の排ガス処理装置システムの概要を示す仕様書や図表、右装置システムによるダイオキシン類の捕集・除却についての数値計算結果のほか、本件施設の性能とは直接関係のない一般的な関連文献等であり、これらによっては右装置システムの具体的な性能、右数値計算の具体的根拠が明らかにされたといえない。

すなわち、バグフィルター式集塵器の製造元が作成した廃棄物焼却炉排ガス処理計算書(〔証拠略〕)によれば、〔証拠略〕では、計算の前提となる設計ガス条件が異なる上、本件施設の焼却炉のそれ(〔証拠略〕)と整合するかも明らかでなく、また、右計算書においては、本件施設で廃棄物の焼却処理により発生するダイオキシン類の発生量が一立方メートル当たり一〇ナノグラム(〔証拠略〕)ないし五〇ナノグラム以下(〔証拠略〕)であることが前提とされているが、その根拠は必ずしも明らかではないし、バグフィルター式集塵器のダイオキシン類捕集率が九五パーセント以上とされている根拠も何ら示されていない。

このように、債権者提出の疎明資料では、右2の推認を左右することはできないといわざるを得ない。なお、債務者は、右の提出資料以外に本件施設がダイオキシン類の耕出により債権者らの健康を侵害するおそれのない施設であることについての資料を提出しない。

4  そうすると、債務者において、本件施設が本件省令による基準値を充足する安全な施設であり、債権者らの生命、身体に悪影響を及ぼすものではないことについて十分な疎明がされない以上、本件施設は安全性を欠くものといわざるを得ないから、その余の点について判断するまでもなく、本件仮処分命令の申立てについては被保全権利があるというべきである。

二  保全の必要性

前記のとおり、ダイオキシン類の有害性及び本件施設が債権者らの生活地域に近接している事実に照らすと、ひとたび本件施設の操業が開始されれば、大気中に排出されたダイオキシン類によって債権者らが被るであろう健康被害は相当広範かつ深刻なものになる可能性があり、しかも、その性質上事後的な被害回復も難しいというべきであるから、これを営業の自由及び廃棄物処理の社会的必要性の名のもとに甘受すべきとするいわれはなく、結局、本件仮処分命令の申立てについては保全の必要性があるというべきである。

(裁判長裁判官 秋武憲一 裁判官 萩本修 大串真喜子)

物件目録〔略〕

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